美術館・博物館に行ってみた。No.4「岡本太郎展」

本職は人間だ!

岡本太郎」をご存じの方はある程度の年齢以上か、美術・芸術に興味のある方だと思います。1970年に大阪で開催された「万国博覧会」のテーマ館に建てられた「太陽の塔」をデザインした芸術家が岡本太郎です。彼は1911年(明治44年)に神奈川県の川崎市に生まれました。今、その川崎市には「岡本太郎記念館」があります。父親は人気漫画家の岡本一平、母親は歌人・小説家の岡本かの子です。幼い頃から独自の考え、行動から周囲になじめずに転校を繰り返していたそうです。入学した東京美術学校(現在の東京藝術大学)も中退してパリで最先端の芸術に触れました。その後日本に戻ってから旺盛な創作活動で多くの作品を発表したり、文筆活動を通じて国民的な人気を博しました。TVコマーシャルにも出演して「芸術は爆発だ!」などの流行語を残したりしています。あるインタビューで「何が本職なのか?」と聞かれた岡本太郎は「人間―全存在として猛烈に生きる人間」と答えたそうです。

見ごたえあり!

岡本太郎の名前は知っていてもどんな作品があるのかということは詳しくは知りませんでした。大阪万博には行ったことがなかったため、「太陽の塔」は写真や名前で知っているだけですが、とてもユニークなアーティストなんだ程度にしか知識はありませんでした。彼の作品は大きなキャンパスに大胆な構図でデフォルメやキュビズムを取り混ぜた、色鮮やかなものが多いです。初期の頃の作品には肖像画なども書いたことはあるのですが、大半が抽象画と言ってもいい作品となっており、どの作品も説明がないと何を意図した絵なのかを把握することが難しい・・・ ただ、全体を通じて岡本太郎の気迫が大きく迫ってくるのがヒシヒシと感じられるとても充実した展覧会だと感じました。

絵画の次に多く展示されていたのは「太陽の塔」に代表される立体作品です。作品の多くはFRPで作られていました。一部だけブロンズ作品もあります。FRPとは繊維強化プラスチックの略で強化繊維と樹脂を混ぜ合わせて作るそうです。航空機や船舶、生活用品ではお風呂などに使われているとのことでした。「太陽の塔」にも特徴の一部が表れていますが、円錐のような形状が生き物のように伸びたりくねったりしていますが、その根源は縄文式土器に要因の一つがあるようです。彼は1951年に国立博物館で縄文火炎土器を見て大きな衝撃を受けたようで、日本美術史は縄文時代から語られるようになったといわれるようになりました。絵画にもその特徴は表れていますが、形で表現しないといけない立体作品にはそれ以上の特徴が感じられます。今回の展覧会に限らず彫刻なども手で触れることは禁止のことが多いですが、今回唯一触れることが出来る作品があります。「座ることを拒否する椅子」という作品です。日常生活で椅子に座ることは多くの場面であります。私も会社では椅子に座って仕事をしていますが、ある会社では会議は立ったまましているそうです。それは、人間は座ると落ち着いてしまい、そのまますべてを放棄してしまいたくなるものですが、長い人生の中で常に前を向いて動き続けてきた岡本太郎にとって、座ることは必要がない、あるいは座るとしてもほんの一瞬でよく、長く座ることができる椅子は必要なかったのではないかと考えられます。確かにその椅子の上部は半球のように丸くなっているので座りにくく、長く座るためには作られていません。私は座りませんでしたが、作品を見ていてもゆっくりと座ろうとしている人はほとんどいませんでした。

今回の岡本太郎展は、2011年に岡本太郎生誕100年を記念して開催されて以来の大規模な展覧会です。今、国内で岡本太郎の作品をまとめてみることが出来るのは、川崎市にある「岡本太郎美術館」と東京の青山にある「岡本太郎記念館」ですが、これだけの作品を体系的にまとめてみることができる機会はしばらくないのではないでしょうか。

東京周辺にお住いの方はご存じかと思いますが、彼の作品を手軽にみられる場所が一つあります。JR「渋谷」駅から京王「井之頭」線に向かって歩いていく途中の支部マークシティの入口辺りの壁に「明日の神話」が壁一面を使って飾られています。この作品は原爆が爆発した瞬間を表現した作品だそうです。彼の作品には同様の反原発反戦をモチーフにした作品がある、彼の平和に対しての思考を伺うことが出来ます。東京周辺にお住まいの方、あるいは東京に用事があって来られた方は、ぜひ一度「明日の神話」をご覧になってください。

渋谷にある「明日の神話

東京での展覧会が終了したら、2023年1月14日~3月14日まで名古屋市の「愛知県美術館」で開催されるそうです。東海地方の方は楽しみにしていてください。